先日テレビで林修先生が宮沢賢治の「注文の多い料理店」について解説していた。
小さいころ小説もマンガも読んでいたが、大きくなってからは読んでいなかった。
先生は「改めて読み返すと面白い」と話していたので、iPadの「i文庫HD」に内蔵されていた本を読んでみた。
確かに深い。
まず「空腹は人をポジティブにさせる」こと。
山奥に西洋料理店がポツンとあることに対して片方が疑問に思っているのだが、もう片方の解釈で入ることに決めている。
「おや、こんなとこにをかしいね。しかしとにかく何か食事ができるんだろう。」
「もちろんできるさ。看板にさう書いてあるぢやないか」
「はいらうぢやないか。ぼくはもう何か喰べたくて倒れさうなんだ。」
また、建物の構造についても疑問に感じているのだが、ポジティブに切り返している。
「どうも変な家だ。どうしてこんなにたくさん戸があるのだらう。」
「これはロシア式だ。寒いとこや山の中はみんなかうさ。」
いくらロシア式でもあれだけたくさん扉があり、店員が一人も出てこなかったら疑問に思うのでは?と思う。
そこからはいわゆる「注文の多い」料理店の注文にもいちいちポジティブに解釈して従っている。
(クリームは食べてしまったけど)
塩をすりこむところで気づくのだが、それまでの過程でもいくつか疑問に感じるところはあったはずだ。
それをポジティブに捉え、注文に従っていたのは空腹と寒さに耐えられないと言う「欲求」が為すものなのではないだろうか。
そして牛乳のクリームを少し食べ、多少余裕ができてきたとき、注文の内容に疑問を感じたのではなかろうか。
次に「言葉の使い方が巧み」であること。
現代だと少し気づかれてしまうかもしれないが、この時代における丁寧な言葉による掛け言葉。
題名にもある「注文の多い」には「客が多くて注文が多い」のと「店主から客(食べ物)への注文が多い」の二重の意味がかけてあるし、
「すぐたべられます」や「おなかにおはひりください。」もそれぞれ2つの意味を持っている。
読んだ後に改めて読み返すと、それぞれの注文の意味が分かって面白い、という寸法だ。
個人的には最後の一文に笑ってしまった。
「途中で十円だけ山鳥を買つて帰りました。」
そんなに怖い思いしたのに山鳥は買って帰るんかい!と。
子どもに読み聞かせるにはどうだろう?長さ的にはピッタリだけど多少怪談のテイストが入っているし。
夏休みの読書感想文ではないが、改めてこういう昔の短編を読み返すと面白いかもしれない。
※上記引用は青空文庫(http://ww.aozora.gr.jp/)で作成されているものから転載・引用しております。
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