あまり気づいてなかったのだが、今年で高校卒業・大学入学から20年経ちました。
あっという間な気もするし、随分かかったなという気もします。
「あっという間」と思うのは、断片的ながら大学1年の頃のことを覚えているからだと思います。
と言うことで、せっかくなのでこの土日で大学受験のときのことと大学入学してからのことを書きます。
今日は大学受験のときのことを。
予め言っておきます。結構長いです。結構端折ったけど長いです。
知っている人は知っているかと思いますが、私の母校は大阪の某国立大学(今は国立大学法人)です。
実はこの大学は全く志望していた訳ではないのです。
もっと言うと工学部すら志望していなかったのですよ。
元々は兵庫県の某国立大学の理学部を志望してました。
高校に入る頃にWindows95が発売されまして、元々コンピューターに対してはかなり興味があったのでそういう仕事に携わりたいと思っていました。
ちなみにその前は高校の数学の教師でした。小学生の頃公文式をやっていて、少しなりとも自信があったんでしょうね。
なので最初の志望は理学部数学科でした。
しかし、その頃やっていた進研ゼミで「システムエンジニア(SE)」という職業の記事を見て「こ・れ・だ!」と。
イマイチSEという職業の全貌は分からないものの、理学部数学科でも行ける!ということで当時の成績+αくらいのところで兵庫の大学でした。
実際センター試験前まではその大学の赤本とか解いてましたしね。行く気マンマンだったわけです。
理由は2つ。
・元々大阪に住んでいたので関西に行きたかった(だが大阪の某大学は兵庫よりもっと上なので手が届かん)
・神戸って何となく響きがカッコイイ
...まぁ、田舎の高校生なんてそれくらいのもんですよ。
すると、センター試験の結果が思いのほか思いのほかでして。
当時は新課程2年目で、まだ得点がインフレ傾向にありました。
なので模試でもめったに取ったことのない得点を叩き出しました。
その後の三者面談。私、父、担任の3人で志望校を決める打合せです。
開口一番担任が
「大阪の某大学受けてみない?」
私「え...勉強してないんですけど?」
担任「大丈夫、何とかなる」
私「じゃ、じゃあ受けてみようかな...」
担任「SEを目指すなら工学部にした方がいいと思うよ」
(注:担任は数学教師)
私「え!?元の志望が跡形もなくなってますけど...」
担任「大丈夫大丈夫」
...とまぁこんな感じで決まりました。今考えても担任にどんな自信があったのか分かりませんが、とにかく工学部になりました。
ちなみに受けた学科は「電子情報エネルギー工学科」。何の学科かよく分からないところがいいですね。
うちの大学には基礎工学部というものがあり、そこには情報工学科というものがあったのですが、私は何故か工学部の電子情報エネルギー工学科になりました。
志望倍率がこちらの方が低かったので結果良かったですけどね。
そう言えば当時志望倍率は電話の音声ガイダンスで聞けました。今はもう絶対ないサービスの1つです。
二次試験自体は数学がここ数年で最も難しい問題で、それ以外は何とか食らいつけた感じ。
(入った後聞いたらやっぱり難しかった模様。あの問題を解けた人が理学部数学科に行ったんだ、というのが定説でした)
数学が最初だったので試験終了後教室内の落ち込み具合が半端なかったです。
私は生協で宿を取っていたので昼の弁当が付いていたのですが、どこで引き換えられるのか分からず、結局昼食を取らずに午後の科目を受けました。
結果その方が集中できて良かったかもしれないです。
ちなみに私は受験そのものよりも、その後日本橋でガンプラを買った方が主目的でしたけどね。
二次試験の結果が出る前、当時のC日程の受験がありました。
出発日は卒業式当日...まぁ、あまり感傷に浸ることもなくさっさと旅立ちました。
行先は岡山...某公立大学。
正直、行かなくて良かったなぁと思った次第です(出身者の方すいません)。
岡山から行きましたが単線だわ駅の周り何もないわで途方に暮れる感じでした。
(実家よりもひでぇな、と当時思ってましたが、たぶん同じくらいだと思います)
問題は完璧に解いて、最終的に時間より早く終わらせて先に退出したと思います。
二次試験の結果は郵送されてきました。見に行くほど裕福ではない!
結果を見た瞬間思い切り腕を振り上げ、危うく照明をたたき割るところでした。
その次の日?には入学手続きで父親と大阪へ...。
大学(院も含めて)6年間住んだ家は時間がないからと下見もせず一気に決めてしまいました。
今考えたら恐ろしい。広くてトイレと風呂がセパレートになってて良かったけど。
大阪に行く前日?に生活用品を買い込み、出発しました。
ちょっと寂しかったけど、まだ見ぬ新居を思うとドキドキしてましたなぁ。
実家から車で行ったので片道6~7時間弱かかったかと...よく行けたな。
学生用とはいえ、言うほど安くないアパートに6年も住まわせてくれた両親には感謝以外の何もございません。
引っ越してからの話は明日にしましょう。